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悠久の出雲神話
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大国主神
(おおくにぬしのみこと)と
須世理姫(すせりひめ)
のロマンス神話の郷
須世理姫(すせりひめ)は、「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)の御子で、いなだ姫を母に宮居し、神西湖の南端の麓谷に「岩坪」という「おう穴」があり、むかし『滑狭の郷(なめさのさと)』と呼ばれたこの地で誕生なされました。ここは、山と川と湖に囲まれた大変に風光明媚なところであり、そこですくすくと成長され美しい姫となられた。そんなある時、「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で知られる大国主神(おおくにぬしのみこと)と出会い、すぐに恋に落ちてしまわれました。しばしば妻問いに通われた大国主神(おおくにぬしのみこと)を須世理姫(すせりひめ)は東神西の神待というところでお出迎えなされた。そのような双方の仲を見抜き、須佐之男命(すさのおのみこと)は婿として受け入れるために厳しい試練を課したが、それに耐え抜き認められめでたく結婚され、数多い后神のなかでも正妻として妻の座を守り大神を助けられた。現在、須世理姫(すせりひめ)は、大国主神(おおくにぬしのみこと)とともに東神西の「那売佐(なめさ)神社」に祀られ崇拝されています。




古代出雲大社の巨大神殿
島根県立古代出雲歴史博物館にて模型展示

“出雲”に生まれて国を造り上げた大国主神と並ぶ神話の主人公、八岐大蛇。「斐伊川」「稲佐の浜」など、神話の舞台になった場所が“出雲”には数多くあり、「出雲大社」「長浜神社」「須佐神社」など「出雲国風土記」にも記述された多数の古社が連綿として今日まで伝えられています。
神話の足跡をたどれば、古代の神々の世界がよみがえる。
[神話の中の出雲、そして「荒神谷遺跡」など数々の遺跡に象徴される“神々の国”]それが出雲です。




神楽(かぐら)
「大蛇退治(おろちたいじ)」
神西神代神楽保存会




神事華(じんじばな)
佐志武神社例大祭神事華奉納
(さしむじんじゃれいたいさいじんじばなほうのう)
毎年十月十八日・十九日に行われる佐志武神社秋の例大祭は、勇壮で優雅な独特の雰囲気をもった出雲地方最大級の祭りです。特に、奉納される四〜五基の「神事華」は、金・銀・赤・紺・緑と色鮮やかな紙の花で飾られた花笠で、直径五メートルを超える大きなもので、大変見事です。 「はだこ」という揃いのいでたちの男衆が、木遣唄を歌いながら、この「神事華」を担いで地区内を練り歩き、神社に集結します。境内に入ると、華の上に「踊り子」と呼ばれるからくり人形が取り付けられます。 さらに、翌日には、社殿の回りを数回引き回した後、夕方には華は威勢良く倒され、境内を埋め尽くした群衆が、われ先にと競って家に持ち帰ります。この華は無病息災などのご利益があるとされています。




郡家の正西(まにし)四里五十歩なり。周り(めぐ)三十五里七十四歩あり。裏(うら)には則(すなは)ち鯔魚(なよし)・鎮仁(ちに)・
須受枳(すずき)・鮒(ふな)・玄蠣(かき)あり。
即ち水海と大海との間に山あり。長さ二十二里二百三十四歩、廣さ三里あり。此(こ)は意美豆努命(おみづぬのみこと)の国引き坐(ま)しし時の綱なり。今俗人(くにびと)、號(なづ)けて薗松山(そのまつやま)と云ふ。地(ところ)の形體(さま)、壌(つち)も石(いは)も並びになし。白き沙(いさご)のみ積み上がれり。即ち松林茂繁(しげる)るも四風(よものかぜ)吹く時は、沙(すなご)飛び流れて
松の林を掩(おほ)ひ埋(うづ)む。今、年(としごと)に埋もりて半(なか)ば遺(のこ)れり。恐らくは遂(つい)に埋(うも)れ已(は)てむか。松山の南の端なる美久我(みくが)の林より起(おこ)りて、石見と出雲と二国の堺なる
中島埼に盡(いた)る間、或は平濱(はま)、或は陸磯(いそ)なり。
凡て、北の海に在る所の雑(くさぐさ)の物は、楯縫郡(たてぬいこほり)に説(と)けるが如し。
但(ただ)、紫菜(のり)なし。
出雲国風土記(加藤義成著)より




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